「あの星」を掴んだ7人の航海士へ
「いつか掴めるのかなあの星を」
なにわ男子が結成されて最初にファンの前に立ったステージ・梅芸。
そのとき自担はこんな歌詞を歌っていた。
2018年10月4日(木)PM3:00頃
今でも苦手な会社法の講義を受け終わってTwiiterを開いた瞬間、
私は絶望と歓喜をごちゃまぜにした感情に一瞬で染まった。
関西ジャニーズJr.に久しぶりに公式のユニットが誕生した。
なにわ男子。メンバーは7人。
そこに自担はいなかった。
正直、そのこと自体に驚きはなかった。
当時29歳だった彼だけど、ギリギリでユニット入りしてデビューすることだって別にありえないわけじゃない!と割と本気で思ってた。でもそれはすごく難しいことだってことも、頭のどこかでちゃんとわかって応援してきた。
…つもりだった。
この発表がある少し前、まいジャニの夏休みSPでハーベストの丘でロケをした回のことを私は鮮明に覚えている。
7人でロケをしていた。なにわ男子とは違った7人で。
あの放送は私がまいジャニを見るようになってからのものの中では特にお気に入りの回なので今でも時々見るのだけど、リアタイしてた当時から自分で自分の心を刺すような感想を抱いてしまっていた。
「この7人でのデビューはない」
なにわの中では下から3番目の年齢のおりゅっちぇと龍太くんは干支が一緒だ。
みちながとは13個も離れてる。まずこの時点でないと思ってた。
いや、私は全然いけるんだけどさ。
仮にこの7人でデビューできたとしても、龍太くんが40歳のときにみちながは27歳。
龍太くんの年齢が年少メンバーの活動期間を短くしてしまうから…とか、割と細かいところまで真剣に現実的に考えたうえで「ない」と思ってた。自分で考えててつらかったなぁ。
時を同じくして、夏松竹では丈橋が門ビバ大ちゃんとユニット曲やってた。一方で龍太くんは康二くんとデュオ。オリ曲は素直に嬉しい。けれども心はざわざわ。ネガティブ思考が絶好調の時には「康二くんまで道ずれにしてしまうのでは…」とかマジで考えてた。失礼な話だけど、これが本当に当時の本音なのよ。
それでもなんとか龍太くんがデビューできる方法はないのか~とか、そもそも30歳になったらJr.卒業とか退所とか誰が言いだしたんだよ…とか悶々と夏を過ごした。そして暑さが少しずつ存在感を薄め、予告なしにエイトさんのバックでМステ!!ひゃっほい!!やっべ!次の少クラドリキャ!?そういや今月は龍太くんの入所15周年記念やん~~~!と気持ちを切り替えかけてた。なにわ男子の結成はまさにそんな時期だった。
私には、期待してダメだった時に凹みたくないがために自分の感情にすら保険をかける癖がある。
龍太くんに対してももしかしたら同じ気持ちだったのかもしれない。だから何かが変わってしまう前から自分の中で「ない」としてたのかも。
でも全然効果なかった!しっかり凹んだ。
凹むというか…決め切れてなかった覚悟を自分の意思とは関係なく決めさせられる時が来てしまったような感じだった。年齢的に「次」があと何回あるか?とは思ってたけど、こんないきなりだとは本当に思ってなかった。
そういう意味でまず「絶望」
ところで私は関西担になる少し前にハロプロ垢で同じあゆみん推しの人に大橋くんを布教されたことがあった。その流れで大橋くんの隣にいた丈くんのことがなんとなく気になってた。まず顔がすげえタイプだったもので。
その後がっつり関西担になってからは自担は龍太くん!といいつつ、カプヲタスキル厨の血が丈橋を求めていた。ほとんどGive me...とリューンと和田俊輔さんのせいなんだけど。あと何度も言うが丈くんの顔がとにかく好きだった。胸鎖乳突筋も。
私はドルヲタとしての性質がどうしたってDDなものだから、たとえ自担の未来に「絶望」しようとも、丈くんや大橋くんのことを思えばこれは間違いなくビッグチャンスにしてラストチャンス、そういった意味では「歓喜」でしかない。
(8人組のことで何も思わなかったわけではないけど、幸いにも(?)そちらには深くのめりこむ前だったからダメージはかなり軽く済んでた)
しかもあの頃の私はドリキャ芸人でしたし。もうほんとにみんな愛してたよ。
沼落ちしたばかりのときの情報収集の早さって本当にすごいよね。
2018夏って今の3倍くらいTwitterしてた気がする。どこまで掘っても新しい発見がある秘伝のたれみたいに継ぎ足しの歴史が長い関ジュに常時速度を増しながらズブズブになってたなぁ。
そもそも関西箱推しなので、自分自身の担歴は浅くとも、ようやく関西が「動いた」ことに安心した気持ちもゼロではなかった。でも自分が好きになったばかりの”あの空間”がもう終わってしまうのか、という気持ちもあった。
要するに、あの頃抱いてた感情は一つではなかった。
5分経てば別の立場で別の感情を抱いていたあの3か月間。
ほんとうに、ほんとうにしんどかった。誰のことを思ってもつらかった。
以下、ちょっとだけ、これで最後の愚痴。
「なにわのメンバーの団扇を持つと暴言を吐かれる」も実際にあったけど、
龍太くんの団扇をもってたら隣のなにわの某メンバーの担当にコンサート最後の「かんさ~いじゅにあ~~」で手繋ぐのあからさまに避けられたのだって事実なんだぞ。
(単純に誰とも手繋ぎたくない人だったかもしれないけどさ!)
あと、なにわが歌う時には着席する他担がいたのも本当だけど、その逆だってたしかにあった。横に室担がいて、龍太くんの歌割でそれやるのほんまにいい度胸やなって思った。つまり私はこの点はあの3か月間に限ってはお互い様だったと思ってる。
当時を知らない人があの3か月のことを「なにわちゃんが一方的に虐げられた期間」みたいに知ったような口で言うのはなんかもやっとする。選ばれた側も、選ばれなかった側も、どちらのファンも、本当に”全員”しんどかったんだ。
さて。
冒頭の歌詞に戻ります。
これはご存じ、「My dreams」の2番
オリジナルだと室龍太くんの歌いだしです。
あのときの状況ではどう考えても「あの星」はデビューとか総無所から頭抜けるとかの意味にしかとらえられなかった。
今でこそ一人前のジャニーズのタレントとして大活躍の龍太くんだけど、あの当時の雑誌等で龍太くんが発した言葉はどれもその背後に「自分はもうデビューは望めない」というあきらめのようなものを感じてとても苦しかった。あきらめるというのはちょっと語弊があるかな…でも現実を見なきゃいけなかったのは事実で。「しがみついてでもデビューしたい」と言っていた龍太くんの夢はもう叶わないんだなあ…と思い知らされて。
対照的に、なにわ男子はあのときの関ジュの中では間違いなく一番デビューに手が届く位置にいた。(まさか康二くんがスノ入りして先にデビューするなんて考えもしなかったから…)
だから梅芸でこの曲を初めて聞いた時の私は、脳内で勝手に「あの星」を「デビュー」に変換して泣いてた。
考えてみれば、梅芸とクリパの時にはまだ心の底からなにわ男子を応援することはできてなかったのかもしれない。
なにわ単体で見ればみんな好きだし、運よく丈くんにハイタッチのファンサもらったときには普通に黄色い声上げてたのだけど。
龍太くんがいるうちはどうやってもなにわ男子のことをたくさんの犠牲の上に成り立ってる花のようにしか思えず、めちゃくちゃ好きなのに、別の好きな人のことを思うと苦しくて、でもそんなことを思ってしまうのも自担に失礼だと感じて、もう自分の感情がどこにあるのかずっとわからなかった。みんな好きなのに、みんなでは幸せになれないのがひたすらしんどかった。
そしてあの涙のあけおめ城ホ。
室担として色々思うところはあったけどここでは割愛。
ここで初披露されたのが代表曲「ダイヤモンドスマイル」ですよ。
正直、「かなわんなぁ」という感想だった。
けっしてデビューのチャンスが多くない関西から東京のジュニアもデビュー組も含めてトップを取れるようなグループを作ろうとしてなにわ男子は組まれたのだなぁ、とここで実感した。
あの時の気持ちを誰も傷つけずに言葉にするのは本当に難しい。
今でこそ私はなにわ担だからことあるごとに「勝った!」って言ってるけど、
あの時は選ばれなかった側のオタクだったから。
本当に、自担に誇りもってたし、自担が負けてるとかは全然思わなかったけど、
あのときのダイヤモンドスマイルの煌めきは完全に「「「勝ち」」」だったんだよ。
だから「敵わない」という言葉を選んだ。いやな気持ちになった人がいたら本当にごめんね。
それと同時に、「なにわ男子なら、関西出身でも”勝てる”」と確信し、さらに「なにわ男子が叶える夢は7人と7人のファンだけの夢じゃないんだよ」という気持ちになった。
私がマイナー思想なのはわかってますよ。でも本当にそう思ったの。
あの時の私は、夢が叶わなかった側の人間として、私の夢もなにわ男子に叶えて欲しいと思った。
この気持ちを、私はこんな言葉でその後の春松竹で出したファンレターで丈くんと大ちゃんに伝えた。
「プラチナのジェットには私のような他担の夢も相乗りしています」
重いし、重荷だし、結局この後丈くんに担降りするし、今思うとかなり痛々しい。
この春松竹では最後にDream Catcherが披露された。
めちゃくちゃ泣いた。
この曲がセトリに入ってることを知った時は正直複雑だったけど、自分の目で見てやっと踏ん切りがついた。
同じ関西ジャニーズJr.出身のこの子たちに夢を託そう。
西が東西関係なく1番になろう。
事務所も関係なく、すべての頂点に立つ存在になってくれ!
そんな願いを込めた日から2年半。
2021年7月28日
ついに「あの星」に手が届いたね。
本当におめでとう!!!!!!!
あの時の自分本位な私の夢をかなえてくれて本当にありがとう。
重荷背負わせておいてありがとうっていうのも変な話ですが。
でもありがとうと言わせてほしい。
大好きな人たちの夢が叶う、という”私の”夢が叶ったのだから。
一方的に夢を託すのはこれで終わりです。
今ではもう私は自分も”なにふぁむ”を認めていますので。
これからはなにわちゃんと夢を共有して、君たちが一つ一つそれを叶えるたびに喜びを分かち合えたらいいな。
大好きな7人とずっと果てしなく航海を続けていけますように。
CDデビューまであと100日。
私の夢が叶うまで、あと100日。
私の夢がなにわ男子の夢と重なる日まで、あと100日。
My dreams, our dreams.